地域老人クラブのメンバーであるTさん(女)が米寿を迎えた。慣例によりクラブからお祝いをさしあげることになっている。

玄関先で帰ろうとすると、家人は留守だから粗茶でもとすすめられてお邪魔することになった。

「米寿おめでとうございます。お元気でなによりですが顔のキズはどうされましたか」 「庭のつげの木を切ろうとして踏み台から落ちましてね、ようやく治りましたがその傷跡です。長男から怒られるし、好きなダンスもできなくて口惜しい思いをしています。年をとるということは楽しいですね。家事は嫁がやってくれますし、身の回りだけ自分でやれば、あとは自分の時間ですからね。
ダンス、詩吟は10年以上やっていますし、そのあい間に新聞の招待コーナー、プレゼント欄に応募しては映画、ショー、音楽会、講演会を楽しみます。でかける前は幼いときの遠足気分になり、なにを着ていこうかとあれこれ考える気持ちのたかぶりがまたなんとも言えません」

「一人で行かれるのですか」

「いまの若い人(60、70代)はやる気と根気が足らなくて、体の調子が悪いとか、都合がつかないとかというので無理に誘いません。都合は自分でつけるもので、他人様がつけるものではないと思いますがね」
「そして、見たり聞いたりしたことを子ども夫婦や孫が喜んで聞いてくれることが嬉しいですね」

最後に「楽しくなければなんでも長続きしません。自分でやりたいことをみつけて根気よくやることですね」と。

淡々と語られたTさんの話に、“いまの若い人”に入るわが身にとってはありがたい教えを受けた気持ちである。年を重ねて増えるもの、シミ、白髪、シワと、使い減りしない時間=暇という財産である。この財産を退屈の溜まり場としてやるせないものにするか、選択肢の多い自由の広場として捉えるかによって人生80年時代の生き方が定まると思う。
幸い、「生涯学習」のメニューが行政、“民活”で提供されている。これらをきっかけにして指示待ちでなく、自分で積極的に好きなテーマにとり組むやる気、それを楽しみながら繰り返してゆく根気をもてば、心の老いをとりはらい自己充実、自己再発見の旅を続けることになろう。