「にもかかわらず」笑うこととしよう

某日、上智大学教授アルフォンス・デーケンさんの話を聞く機会を得た。テーマは「ユーモア感覚のすすめ」である。

ユーモアと笑いはストレスや怒りを和らげ人間関係を円滑にする。だれでも、笑いながら同時に腹を立てることはできない。ユーモアの原点は、周囲の人々のためにあたたかい雰囲気をつくりたいと願う、思いやりの心である。人間は笑うことのできる唯一の動物であるといわれている。ユーモアと笑いは人間的な生活になくてはならぬものであり、その意義は老境にあってはますます大きくなるように思う。なぜなら老人にとって孤独とコミュニケーションが重要な問題であるが、人と人とを結ぶユーモアの働きは、コミュニケーションを円滑にし日々の生活を豊かにするために欠かせないものである。そこで「ユーモアとは、にもかかわらず笑うことである」と定義づけている。

引用が長くなったが、スマートな人間関係をつくりあげ維持するうえで、ユーモアと笑いがいかに大切であるかをあらためて教えられた次第である。苦しみや悲しみ、挫折、落胆を味わったうえで、「にもかかわらず」笑うのがユーモアなれば、ユーモアは新しい展開と生きる力の動機づけになるのではなかろうか。

介護老人を抱えている、障害者がいる、連れ合いをなくした、病気をもっている、非行少年で悩んでいる、劣悪条件の職場、折り合いの悪い姑、底意地の悪い上司のいじめ、酒乱、女癖の悪い、賭けごと好きの亭主…「にもかかわらず」笑いを忘れずに生きることは、やる気、勇気、根気を奮い立たせて問題解決のために気力を生むことだろう。
日経新聞「あすへの話題」(平成元年9月26日)のコラム欄の「にもかかわらず」 にこんな一文があった。「人間に関することは常に 『にもかかわらず』ということがあると思う。どんな劣悪な条件の中でも育つ力があり、それを支える力がある。(松岡享子氏)」