生かすも殺すも一言から

都心から同じ町内に引っ越してこられたKさん(女性、68歳)と知り合ったのは3年前である。

たまたま地域のテレビ受信組合にかかわっていたため、手続きなどをお手伝いした縁で往来するようになった。

戦争でご主人を亡くしたKさんは、父親の思い出をもたない2人の娘をかかえて戦中戦後を生き抜いてきたとのことだが、苦労話に触れることは少なく、いまの生活に満足している様子を言葉少なに話す控え目な人である。

Kさん「都心にくらべてまだ緑が多く忘れがちな四季の変化を楽しむことができるのは嬉しいのですが、お宅を除いて隣近所とのつき合いが少ないことは寂しいですね。

ときには煩わしいと思うことがあっても、同じ土地に30年余りおれば、義父母、子どもを通じて四季折々の催事をみんなと楽しみ、戦後食糧事情の悪いときはお互いさまと有無相通じる絆(きずな)を大事にする思いがありました。

ここには高い塀があるお屋敷といわれるような家はありませんが、なんとなく心に塀があるようで気さくに声をかけ合っておつき合いできる雰囲気がありませんですね」

私「Kさん、娘さん夫婦、お孫さん3人に囲まれて幸せでしょうが、これからは自分の人生を楽しむようにしましょうよ。65歳になったので、地域の老人会に入って新しい人間関係をつくられたらいかがですか」と。

これは2年前のKさんとの会話である。

葉桜となり庭の木々が鮮やかな勢いのある若葉をつけはじめた日、玄冬(げんとう)を思わせる悄然としたKさんに会った。

「せっかく勧められて老人会に入りましたがやめました。最初は皆さん親切で、しだいに気兼ねなくつき合いできるようになり喜んでいました。しかし3人集まれば1人はみでるというように、それぞれの会に仲良しグループがあり、よほどの気配りをしなければ仲間入りができません。皆さん悪気はないと思いますが『あなたまだできないの』『なにをやってもダメね』と。私は20年手がけた鎌倉彫の特技をもっていますが披露することはありません。新しい人との出会いができればと参加したのですが、いまさらどろどろした煩わしさを味わいたくありません」

群れをつくる習性、無意識の排他性で人を傷つける愚かさ。「火をつけるのも口の息、火を消すのも口の息」。心すべきことである。