それぞれのお正月

手術後2年余、入退院を繰り返していたMさんの訃報を聞いたのは若葉が萌(も)える頃であった。

「できるだけのことはしました。しかし、病が重くなるにつれて激しくなる痛み、苦しみを見ても、本人と代わらない以上和(やわ)らげることができない辛い思いが残ります。それだけに、息を引き取ったとき、心からこれで楽になりましたねと呼びかけていました」という七七忌でのご遺族の述懐を聞いたとき、5年前の体験を思い出した。  

荊妻(けいさい)の亡骸(なきがら)に頬紅をさし、口紅を引く娘の手許(てもと)を眺めながら、「これで楽になったな」という同じせりふを呟(つぶや)いたことである。

妻に先立たれると、生活障害者となる男は3年もたないというが、幸か不幸か娘夫婦と同居して面倒をかけているおかげで3年説を裏切っている。

昨年のいま頃腰を痛めて以来、ときどき持病のように痛みが走るが、長く立っていなければ日常生活はこなせる状態である。

「なにも無理しないのに痛いなあ、なんとかしてくれよ」と娘に呼びかけたとき返ってきた文句が冴えていた。

「おじいちゃん、痛いのは生きてる証拠よ」と。言葉は厳しいが慰めと励ましの気持ちは伝わってくる。が、言われっぱなしでは口惜しい。

珍しく一家4人がそろって夕食を楽しんでいたとき「ちょっと黙ってくれ、大事なことを話したい」というせりふに一瞬沈黙の間が生まれた。その間(ま)を埋める特大の屁を放ったのである。怒りとバカらしさを表した顔で、異口同音に「なにか一言あるはずでしょう」という非難の言葉を浴びせてきた。

返した文句は「生きてる証拠だよ」であった。

これで相討ちとほくそ笑んだが、この愚にもつかないやりとりで「生きてる証拠」という言葉の意味をあらためて考えさせられたことは大きい。

生理的痛みも生きているからこそ、精神的苦痛、悩み、悲しみ、喜び、怒り、妬(ねた)み、驕(おご)りなど、人間にまつわることは良くも悪くも生きてる証拠、だからなんのために生きているのか、どのように生きるかという解けない答えを求めてさまようことになる。これが「生きてる証拠」ではなかろうか。