昔から老人の三重苦といわれるものは “病”“飢え”“孤独”である。

これを現代風にいえば、健康、経済、孤独となる。いま流行の「三K」のはしりである。

健康、経済と異なり、孤独となると心の問題であり、その苦しみの態様は幅広く深いものである。

わが先輩のMさんは専務職を最後に悠悠自適の身になった。辺幅を飾らず、ざっくばらんな性格と、部下の意見に耳を傾ける聞き上手のつき合いやすい人であった。唯一の趣味は読書であるが、現役時代にはアフターファイブに部下を集めて、というより自然に集まった連中との読書評、読書感を語り合うのを楽しみにしていたものだ。

かつてM氏を囲んでいたグループが、退職後も無聊(ぶりょう)を慰めるべく好きなオールドパーを持参して雑談していたのだが、その機会もしだいに間遠になり、門を叩く人数も少なくなっていった。しかし私は仕事を離れておつき合いできる人間味にひかれて、縁遠くなったとはいえ、たまに杯をかわす機会を楽しみにお邪魔させていただいた。「読書力が落ちたよ」「酒量 も減った」「婆さんと向き合ってなにも言わずに呑む酒はまずいね」「近頃見ないが、○○君、△△君はどうしているのかね」と。ついつい長居をせざるをえなくなる。

そこにはかつて輝かしい業績をあげ、部下に慕われ、地位と肩書に恵まれた威厳はなく、なんとなく小さくなった体、虚ろな目、緩慢な所作、語り尽きない昔話、合いの手のように入る体の不調と愚痴、手を貸さなければならない老人の姿を見る。

「家に閉じこもってはダメですよ」「新聞の催しもの欄を見なさい。そして足を踏み出しなさい」「まず地域の老人会に入って、話し友達をつくりなさい」「過去は過去、これからなにをするか、前向きに考えてください」

思いつくままに慰めと励ましの言葉をかけた。


ある日、「君、総務課長をやっていたK君を知っているかね。言われた通 り老人会に入る手続きをしに行ったところ、会長はそのK君だよ。K君に直接会わなかったけど入るのやめたよ」と電話を受けた。

孤独は人のせいではない。自分の心のもち方である。新しい人間関係は過去の肩書にとらわれず、まず一歩踏み出して挨拶することである。辞書によれば、挨拶とは「心を開いて相手に迫る」とある。

人生とは片道切符を手にした旅であり、そのパスポートは挨拶であるという故吉川英治先生の言葉を思い出す。