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  きっとほめてもらえると胸ときめかせて走ってきたのに

文部省はいじめの対策としていじめた子の出席停止を決めました。

いじめられている子の両親が、先生に相談にいったら「いじめている子の将来を考えて」と言われ、「いじめられている子の将来」はどうしてくれるのかと憤慨していたのもついこの間のこと。

今度はいじめる子を追放する。子どもたちの心を置き去りにして、処置が決められているような気がしてなりません。

いじめられる子、いじめる子、どちらが悪いかと言っても何の解決にもならない。その上、今まで避難場所であり救いの場であった養護教諭まで学校側に取り込まれてしまっては、子どもたちの救いの場がなくなってしまうのではないかと心配になりました。

友達をいじめずにいられない、うつうつとした気持ち、一度はけ口を見つけたら、止まらなくなって「泣け、あやまれ」とやっている子の心のうちもやりきれないものがあると思います。親から無視されたり、「何度言えばわかるの! 何で言うことを聞けないの! あやまんなさい!」としょっちゅう精神的に一方的な押さえ込みをしていることはないでしょうか?

いじめる子にも、いじめられる子にも将来があります。

すべての子どもたちの可能性を大切に、一人ひとりの思いを大事に受け止めて、この子らしく生きていけるようにもっと自信がもてるように、大人たちがそれぞれの立場で心を配っていけないものでしょうか。

初めて百点を取れた子どもが大急ぎで帰宅して、「お母さん、ぼく百点だよ」って叫んだら、台所の手を休めるでもなく、後ろを向いたまま「○○ちゃんは何点だったの?」「百点」「それじゃ駄目じゃない」と。この子は百点とれたのです。他の人とは関係なく頑張ったんです。どんなにほめてもらえるかと勢い込んで走ってきたのに、こんな辛い言葉は聞きたくなかったと思います。