秋も深まってまいりますと、神社のまわりがなにやら華やかになっていきます。休日を中心に、かわいいおベベの子どもを囲んで、正装した両親や祖父母がにこにことしているさまをみると、こちらもつい頬がゆるんでしまいます。七五三の季節ですね。

七五三は本来、子どもの厄除けと将来の幸福を祈って氏神に参詣する行事です。

土用とは、季節の移り変わりに関係のある言葉で、1年のうちの特定のある期間を指します。具体的には四季が始まる立春・立夏・立秋・立冬の日を前にした、それぞれ18日ずつの期間をいいます。つまり年に4回あることになります。しかしまた、なぜ18日間という不思議な日数になったのでしょうか。

5歳の男児と、3歳と7歳の女児が参詣するこの行事は、3歳の「髪置き」、5歳の「袴着」、7歳の「帯解き」という古来より行われてきた日本の祝いに由来しています。

髪置きとは、それまで剃っていた髪を初めてのばし、円形または輪形に髪を置く儀式で、かつては男女とも行ったものです。ですから現在の七五三でも、「3歳の男女」とするとこ ろもあります。また、「紐落とし」といって、着物の付け紐をとって付け帯にするという行事を行うところもあります。

袴着とは、5歳の男児が碁盤の上に立って恵方を向いて左足から袴を穿き、小袖をつけて扇子を持つ儀式です。5歳を童と呼び、これ以降は童子となる祝いです。

帯解きとは、7歳の女児が幼児服の付け紐を取り去って、脇をふさいで大人の帯を締める儀式です。

いずれも外見を変化させることで、大人に近づく成長を祝うものとなります。

さて、神社の参拝には正式と略式があります。正式には内拝殿にあがり、玉 串を神前に捧げて柏手を打ちます。略式には礼拝殿で賽銭をあげてから柏手を打ちます。

もともと神に参詣するときには、自分の魂を奉納するという気持ちがありました。ですから古い神社には円い石がごろごろと奉納されている光景を目にすることがあるのです。あれは自分の魂をかたどったものなのです。

正式、略式、いずれの参拝においても、通常は二拝二拍手一拝の礼を用います。拝とは上体を90度に前傾させる最敬礼のことで、神への敬意をあらわすものです。視線をそらして相手に頭を差し出すお辞儀は、もともとは相手に敵意がないことを伝える無抵抗を示すしぐさでした。そのため、のちに相手を敬い、大切にする気持ちのあることを示す意味を持つようになったのです。

では拍手は何のために行うのでしょうか。

手を高く打ち鳴らす拍手は、その音によって神の力を喚起し、再生しようとしたものです。

日本の神さまの重要な特徴は、人間がなにもしないと次第にその力を失っていく、と考えられてきたことです。ですから人間は音をたてたり、大きく揺さぶったりすることで神の力を強めようとしてきました。

お神輿をわっしょいわっしょいと揺さぶるのもそのためです。また、結婚して振袖が留袖になるのも、袖を振ることで発生するとされた「人をひきつけるマジックパワー」を、もう発生させる必要がなくなるという理由からなのです。袖〔正確には決(たもと)〕には魂が収まると考えられていましたので、この決を振ることで魂が喚起され、再生されることになるのです。ひととわかれることを「決を分かつ」といいますが、これは互いの魂の結びつきが解かれることを意味した言葉です。

拍手によって音をたてて神の力を求めようとする作法は、なんとあの魂志倭人伝にも書かれているほど古くから日本にあったものです。生後1カ月ほどの赤ちやんが初宮参りをする際に、つねったりしてでもわざと泣かせようとするのは、泣き声で神の力を呼ぼうとしたことによるのです。

このように、日本人はさまざまな仕掛けで子どもの成長と長生きを祈ってきました。七五三や宮参りの人々を目にしたときに、このことを思い出してみてください。