さて前号まではそれぞれ学び合う人たちの親としてのあり方について、生き方について何人かの方を書き記して参りました。今回から私自身が学び合いを通 して実感してきたことを書き記してみたいと思います。

婦人学級という名称で「くらしのこころ学」を開催し始めた当時、10歳だった長女は現在結婚して1児の親となり、6歳だった息子も一昨秋結婚して社会の担い手としてがんばり始めました。その2人の子どもに接する度に思うことは、幼い頃のほんの小さな出来事でも親のちょっとした意識ある心遣いや行動の積み重ねによって違ってくるものだということです。

6年前になるでしょうか。娘から「お母さん、私、家族を持ちたいと思う人に出会えたの。私は“何でこんな家に生まれてきたんだろう”って思ってきたし“何で私はこの親と一緒に生きていかなければならないんだろう”って思ってきたの。でも、そんなふうに家族を拒んできた私が、温かい家族を持たせてもらえるはずがないと気づいたの。だからお父さんお母さんに謝るわ」って言われたのです。そして、娘が「家族のもとはご先祖よね。ご先祖にも謝らなきゃいけないのよね。今ご先祖にも謝ってくるわ」と。

私は「よくそんな大きな大切なことに気がつけたわね。きっと幸せになれるわね」と娘に言ったのです。

幼い頃の私自身が厳しい父から何でも言われたらすぐやらなければ叱られるということがあって、親を拒みながらもそのまま子どもに親と同じようにしていたのです。

何年も多くの方と学び合う中で「人は誰でも安らげる場所を求めて生きている。そして、一番自分らしくいられる場所を探し続けている」ということを知り、ハッとする思いでした。子ども自身が怒らない生活をするには私自身生活の中で怒る感情を持たない努力をすることでした。結婚という形が整った時、娘は彼から「本当に怒らないね」と言われたそうです。

「今でも怒り合うことは無い」と言って幸せそうな姿に安心する私です。

平成11年12月