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認知症の介護は大変だ。肉体的にきついだけでなく精神的に辛くもある。それはそうだ。いままでずっと一緒に暮らしてきた伴侶や親と意思の疎通ができなくなり、生活が不自由になるのだ。介護には体力が要るし、時間も奪われる。経済的にも仕事をやめたり減らしたりと負担が大きい。いきおい引き籠りがちとなり、社会との接点が減る。地域のなかで孤立し、ストレスばかりが増してゆく。そこへ追い打ちをかけるようにテレビや新聞が悲惨なニュースを伝えてくる。認知症の介護に疲れての無理心中。聞いていて悲しくなるし、とてもではないが他人事とは思えない。いったいどうすればいいのだろうか。

「介護殺人を起こすのは、男性の方が多いですね。介護疲れがひどくなると、男の人は虐待に走り、女の人は鬱になる。これがだいたいのパターンです」

東京・練馬区で『ブーケの会』(練馬認知症の人と家族の会)を運営している小泉晴子さんはそう語る。

『ブーケの会』は認知症患者の家族が集まった100名ほどの会だ。練馬区在住者を中心に、介護家族が集い情報交換する「場」として機能している。毎月の定例会や勉強会、見学会、講演会などを通じて、認知症に対する理解を深めると同時に、いかにより良い介護ができるかを学び、生活に役立てていこうというのが趣旨だ。会員にとっては、なによりも同じ問題を抱える者同士で語り合えるというメリットがある。介護でたまったストレスを誰かに話すことで発散できる貴重な場となっている。

「幸いにと言いますか。『ブーケの会』は女性の会員さんが多いからかもしれませんが、ニュースで聞くような悲惨な話は入ってきませんね。やはり情報を交換できる仲間、語り合える相手がいるといないとでは介護者の気分もだいぶ変わるようです」

小泉さん自身もかつては介護者だった。それも本人いわく「あまりいい介護者ではなかった」と振り返る介護者だ。

「きっとそういう自分自身のなかでの反省があったから、『ブーケの会』を続けてこられたのだと思います」

もう20年以上も前のことだ。当時の小泉さんは夫と共働きで会社勤めをしながら寝たきりになっていた舅の世話をしていた。夫の実家には義母もいたものの、高齢ゆえに一人では介護がままならない。そこで小泉さんが会社の帰りに寄っては手伝いをしていたという。

「ただやっぱり掛け持ちはきつかった」

そこで会社をやめて介護に専念することにした。嫁としての義務感がそうさせた。

「ところが、退職直前に義父が亡くなってしまったんです」

拍子抜けはしたけれど、今度は長年連れ添った夫を失ったショックからか、義母が認知症になってしまった。そこから義母が亡くなるまでの三年半に渡る介護生活が始まった。

夫の実家は台東区の元浅草にあった。古い家だけに手狭で、とても一緒には暮らせない。そこで小泉さん夫婦は義母をともなって練馬区に引っ越すことにした。考えた末によかれと思って選択した案だった。

「でも、いま思えばやってはいけないことでしたね」

生活環境の変化は認知症の人にはあまり良い効果を及ぼさない。現在では常識となっていることも、当時はまだあまり知られてはいなかった。新居は家そのものの住み易さでは優っていたものの、義母には戦後すぐから住みつづけた町のほうがはるかに愛着があった。家々が長屋のように路地に並び、夏などは玄関を開け放しにしておくような昔ながらの下町だ。人の気質も練馬とはかなり違う。

すでに認知症が進行していたこともあって、義母は新しい環境に慣れることができなかった。これが結局、死期を早めることになってしまったのかもしれない。やむない理由、次善の策だったとはいえ、小泉さんの心にはそれがいつまでもしこりとなって残ることとなった。





 
義母を看取り終えたときは、まだ40代になったばかり。仕事には就いたものの、このまま介護から卒業という気分にはどうしてもなれなかった。3年半の介護生活は、介護者である自分にとってもきつい日々だった。自分の介護は終わったが、世の中には現在も自分と同じ悩みを抱えて頑張っている人たちがいる。その思いが「活動」へと小泉さんを駆り立てた。

「それで、平成五年くらいから、『ブーケの会』に顔を出すようになったんです」

『ブーケの会』誕生のきっかけとなったのは大泉保健相談所での「精神保健講座」だった。講座で勉強するのもいいけれど、自分たちのたまっている思いを話せる場がほしい。ならばそうしたものの母体となる家族会を作ろうではないか。集まった介護家族のなかにそうした機運が高まった。そこで保健所内に「認知症高齢者家族会」を設置することとなった。練馬区内には6カ所の保健相談所があるが、そのなかで認知症にいちはやく取り組んでいたのがこの大泉保健相談所だった。逆に言うならば、ここ以外には認知症の家族が集える場所はなかったとも言える。

なにしろ当時は現在に比べて認知症への関心は社会全体で薄かった。「認知症」という言葉もなく「痴呆」あるいは「ボケ」と呼ばれていた。医師の知識も深くはなく、たいていは「歳を取ったのだから仕方がない」で済まされていた。「当時を振り返ると隔世の感がある」と小泉さんは話す。現在は介護保険制度のおかげで認知症患者やその家族をサポートする施設、サービスはずいぶんと増えた。だが、ほんの20年前まで、日本人はいったん家族が認知症となったら、それこそ孤軍奮闘するしかなかったのである。

家族会の活動も最初は小規模なものだった。メンバーは5、6人。少ないときは2人しか集まらないときもあった。しかし、地道な活動は徐々にだが会を大きくしていった。社会の高齢化が進み、介護家族が増えてきたこともそれに拍車をかけた。

平成8年には、『ブーケの会』は保健所の事業から自主グループとなる。小泉さんは専任となって会の運営に力を注ぐこととなった。会員の多くは現役の介護者だけに、自分のように時間があるものがやらねばという責任感があった。翌9年には練馬区社会教育団体に登録。高齢化社会はすぐそこにあり、それだけにこうした「場」は恒久化されることが望ましい。そんな会員たちの希望もあり、13年には練馬区生涯教育団体への登録も果たした。
 

会の活動の基盤となるのが毎月の定例会だ。これは会員同士のヒアカウンセリグを中心にした懇談会。切実な問題から雑談まで、介護者にとっては相談の場であり息抜きの場ともなっている。随時開かれる勉強会では認知症に関する理解を深めるとともに、介護保険制度や在宅・施設サービスの利用方法、さまざまな実践的ケアの方法などを学ぶ。何事も自分で調べるより他人から聞いたほうが早いのは認知症の介護も同じだ。保健師や栄養士から介護者の健康維持について講習も受けている。

この他、毎年10月に行う見学会では、これまでに地域の認知症治療専門病棟や特別養護老人ホーム、老人保健施設、デイサービスセンター、グループホームなどの介護の現場を訪問して来た。また、見学会と同様に毎年1回行う講演会には専門の研究者や施設運営者、弁護士など認知症に関わるさまざまな分野のスペシャリストを呼んで認知症ケアの最新情報を紹介している。

こうした表側の活動だけでなく会報『ブーケの会ニュース』の制作や電話相談も小泉さんの仕事だ。会計や会報の発行などはスタッフが参加してくれているが、やはり音頭取りは自分がしなければならない。

とくに大切に感じているのは電話相談だ。行政の電話相談は昼だけだが、『ブーケの会』ならば夜でも受けつける。介護者にとって時間に余裕ができるのは患者さんが寝てからの夜だからだ。(お困りのことがあったら一人で悩まず相談を)と『ブーケの会ニュース』にはある。それだけ世の中には「一人で悩んで」いる人が多いということだ。電話をかけてくる人は藁にもすがる思いなのである。

「いちばん不幸なのは共倒れ。ストレスがたまって介筆者が倒れてしまうこともよくあるんです」

小泉さんの近所でも、介護をしている奥さんのほうが先にがんで亡くなり、施設に入った夫も環境の激変に耐えきれず1週間後に後を追うように亡くなったということがあった。

「だから、『ブーケの会』を少しでもストレスを減らすのに利用してほしいと願うんです」

介護する家族に気持ちのゆとりがなければ良い介護ができないのは自分の経験でもわかっている。良い介護ができなければ、介護される側にもそれが伝わってしまう。

「介護される人たちも、本当は面倒をかけてすまないと思っているんです。ただ、そうした感情をうまく言葉で言い表せないのがこの病気の厄介なところなんです」

認知症になると人は被害妄想になる。間違いを指摘されると目を吊り上げて怒り出す。原因がはっきりしない病気だけに完治というハッピーエンドは期待できない。どんなに頑張っても進行を遅らせるのがいいところだ。

「認知症はとにかく早期発見、早期治療が大事。そのためには外に出て人と接触すること。家にだけいては、気付いたときにはもうかなり進行しているという場合が多いんです」

 
 
昨年、小泉さんは社会福祉士の資格を取得した。相談を受けるには専門的な知識が必要だとの判断からだった。受験勉強中に練馬区社会福祉事業団の研修旅行で福祉先進国のスウェーデンにも行った。現地ではグループホームやヘルパー事業所、障害研究所などを訪問し、日本との違いや見習うべき点を吸収してきた。

現在は『ブーケの会』の活動のほかに、『成年後見推進ネットこれから』の活動に勤しんでいる。成年後見は認知症や障害を抱えた人にとっては「より良いケア」を支えでくれる制度だ。これをもっと積極的に活用し、社会に広めていこうというのが小泉さんたち発起人の願いだ。

「実を言えば、これは自分のためでもあるんです。私たち夫婦には子どもがいないので、いずれはお互いに、あるいは第三者の方に成年後見をお願いすることになる。私たちを含めて団塊の世代の皆さんに、10年後、20年後を見ていまから準備しましょうと声をかけていきたいと思います」

『成年後見推進ネットこれから』はNPO法人とする予定。誰もが幸せな人生の幕引きを迎えられるように。小泉さんやその仲間たちの奮闘はまだまだつづく。

『ブーケの会』(練馬認知症の人と家族の会)
連絡先
〒179−0082 東京都練馬区錦1−22−12
TEL:03−3550−7217
FAX:03−5399−7879