『そのつ森』

NPO法人『そのつ森』
岩佐 未弧さん

 今回の主人公は宮城県の静かな里山で暮らす、岩佐未弧さん。約19年前、自然豊かなこの地に魅せられ東京から移住。年々進む過疎化、少子高齢化の中で、「地域の人たちのために何かをしたい!」と、夫・太田茂樹さんらとNPO法人『そのつ森』を設立。高齢者福祉をベースとした支え合いの仕組みづくりに取り組んでいる。一人の人間として、4人の子どもを育てた母親として、この地に恩返しがしたいと奮闘する岩佐未弧さんの姿に迫る。


「ひっぽ」という楽しい響きを持つ宮城県丸森町の「筆甫」地区。福島県との県境に位置するここで暮らす岩佐未弧さんは、夫の太田茂樹さんと子ども4人の6人家族。ひっぽの住民になって19回目の冬を迎えた。

 2015年6月に開設した『そのつ森 デイシェア』は、いわゆる小規模デイサービス施設。少子化で閉校となった旧筆甫中学校に私財を投資してのスタートだった。収入は人件費、光熱費、維持費を出すとギリギリ。通所者が作る“さをり織り”の作品の販売や宿泊事業等で補っているものの、NPO法人代表の太田さん、理事の未弧さんたちは殆どボランティアで仕事をしている状態だ。

 「それでもなんとか回っています。もう少し余裕が持てるようになればいいのですが、利用者やスタッフが少なく課題も多いです。理想は地域の住民みんなが自由に集える場所になること。ただし、小規模デイサービスという制度の中でクリアできないことが数多くあります」

 少ない人員での活動には限界がある。しかし『そのつ森 デイシェア』に通ってくる利用者さんたちの表情は底抜けに明るい。

 「ここに来るのが楽しみと言ってもらうと嬉しいし、もっと頑張ろうと思います」という未弧さんは、若いころから人のために何かをしたい、自分にできることはないだろうかと、ずっと探し続けていた。


 未来に弧を描くという美しい名前の未弧さんは東京生まれの東京育ち。大学の獣医学科を卒業後、アメリカで研究職の仕事に就いていた。それが一変、少し前まで携帯電話も繋がらなかった田舎で暮らすことになるとは…。

 「昔から田舎には興味があったんです」と未弧さんは言う。獣医学科を卒業したものの病院で働こうとは思わず、関心のあった環境や野生動物の研究のために渡米。しかし実験と論文づくりに追われ、動物との触れ合いが少ない状況に嫌気がさし、もっと実感のある仕事がしたいと帰国。もともと興味があった東洋医学の鍼灸を学びながら、田舎暮らしを模索していた。そして、たまたま訪れたこの「ひっぽ」で、太田茂樹さんと出会ってしまったのだ。

 夫の太田さんも大学院に進みながら研究職が合わず、「ひっぽ」で無農薬・有機栽培の大豆と米を自分で栽培し、味噌造りに取り組んでいた。 「こう言うと、太田は面白くないかもしれませんが、実は“味噌樽に惚れた”んです」と未弧さんはニヤリと笑う。男一人、東京から宮城県の田舎にやってきて田畑を耕し、大豆と米から一貫して本物の味噌造りに奮闘する太田さん。

 「その味噌樽を見せられたとき、ドーンと大きくて、これはすごい。この人はただ者じゃないと思いました」

 百年モノの味噌樽は神奈川県の廃業した味噌屋さんから譲り受けたもの。門外不出の仕込み技術まで伝授され、大豆と米の無農薬栽培も始めたが、最初は苦労続き。「もともと無口な人ですが、言葉を忘れてしまうくらい一人黙々と働き続けていたのです。その苦労や大変さ、味噌造りに懸ける思いが味噌樽を見た瞬間に分かりました」と未弧さん。そして鍼灸の学校を卒業した1999年3月、未弧さんは太田さんと結婚。鍼灸師として仕事を始めながら太田さんの味噌造りをサポート。長男・和馬さん(現在17歳)、長女・あま音さん(15歳)、次男・玄周さん(13歳)、次女・蕗さん(9歳)の子ども4人に恵まれ、犬や鶏たちと共に幸せに暮らしていた、はずだった…。


 2011年3月11日、激しい揺れがひっぽを襲う。東北に未曾有の被害をもたらした東日本大震災が発生したのだ。未弧さんによると「揺れは大きかったものの地震の被害はほとんどなかった」。しかし、その後起こった福島第一原子力発電所の事故が未弧さんたちの日常を大きく変えてしまった。

 「震災後、一時子どもたちを連れて東京の実家に避難しました」

 未弧さんにとってこの避難は不本意なものだった。高齢化が進むこの地域で、お世話になっているお年寄りを置いて逃げたくはなかったが、末の娘はまだ2歳。小さい子どもがいるのだから、とりあえず一旦外に出て様子を見たほうがいいという周りの声に押されての避難だった。

 しかし、未弧さんより4年先にひっぽに移住して頑張ってきた太田さんにとって、「ひっぽ」は第二の故郷であり、骨を埋める場所。震災や原発事故が起きてもその思いは変わらない。何があってもここに残る、人がいる限りここを離れない、その信念に揺るぎはなかった。そして未弧さんと子どもたちは帰還。これまで通りの生活を続けた。

 実はこのとき、閉校になっていた旧筆甫中学校が、原発に近い南相馬市の人たちの避難所となっていた。そこで太田さんらは風呂を手作りし、味噌を提供するなどのサポートをしていた。

 「一時は200人近い人が寝泊まりしていました。みなさん大変なご苦労だったと思いますが、仲良く協力しあって、とてもいい雰囲気でした。しかも200人もいると活気があるんです。少子高齢化が進む過疎地のひっぽが賑やかになりました」

 8月いっぱいで避難所は役割を終えたが、多くの人々を支えてきたこの場所をそのまま廃校にしておくのはもったいない。何かできないか、そう考えて立ち上げたのがNPO法人『そのつ森』。目的は「高齢者福祉の拠点として支え合いの仕組みづくりに貢献し、宿泊・体験学習・生産施設としての地域内外のふれあい交流の場を実現していく」ことであり、同時に原発事故という負の遺産をプラスのエネルギーに昇華し、もう一度活気ある「ひっぽ」を取り戻したいとの思いもあった。

 「それは昔から太田がやりたいと思ってきたこと。味噌造りだけでは満足していなかったのです」と未弧さん。20年前は1200人ほど居た人口が今は600人に減少。震災後、何かしないと「ひっぽ」は大変なことになってしまう。そんな焦りにも似た思いがあったのだ。


 現在、『そのつ森 デイシェア』の利用者は10名ほど。食事、入浴、昼寝、レクリエーションなどを日帰りで楽しんでいる。デイサービスは利用者より、家族の負担軽減の意味合いが強いが、ここに通っているお年寄りは一様に明るく、笑い声が絶えない。それは押し付けではなく、利用者それぞれのペースを大事にしているからだろう。思い思いに過ごす時間は、穏やかで楽しく、居心地がいい。お世話をするボランティアの中に80歳以上の人がいるのも雰囲気の良さを物語っている。

 とはいえ、オープンまでには多くの苦労があった。旧筆甫中学校という公共の施設を使っての活動は地域住民の理解と了解が必要だ。話し合いの結果、了解は得られたもののわかってもらえないことも多かった。さらに大変だったのが老朽化部分を補修し、建築基準法や消防法などの規制をクリアし認可を取ること。予定していた2015年4月には間に合わなかったものの、6月には無事オープンにこぎつけた。

 施設長の宍戸信夫さんによると「オープン当初は人が集まらず本当に厳しかった」。2年目でようやく利用者が増えたものの、高齢者は減る一方で、亡くなってしまう方も多い。

 「ひっぽに住む人はここに来てくれると思ったのですが、思いの外、少なかった。丸森町の中心部の施設に行ってしまうんです」と未弧さん。町の施設はケアマネジャーを置いて、必死で集客に努めている。のんびりしていたらつぶれてしまう。でも、未弧さんや太田さんは競争してまでやりたくはなかった。

 「求めるものは、地域の住民みんなでここを支えて、誰もが来られる場所にすること。でも小規模デイサービスだと認定がないと利用できない。しかも介護保険でほとんど賄えるとはいえ、一日千円ほどの費用がかかります。収入の少ない年金暮らしでは、それは厳しいという声も聞こえてきました」

 お金がなくて来られない人には、“さをり織り”などの軽作業をすることで還元することも考えている。また作品の販売に加え、宿泊事業も開始した。昨年は未弧さんの鍼灸師の先生や仲間たちによる太極拳の合宿や、「宮城インバウンドDMO」とのタイアップで大学生のグループが宿泊利用している。実はデイシェアの利用者の中にも宿泊を希望する方々がいる。

 「そういう声にも応えたいのですが、消防法など様々な規制があり、金銭的にも制度的にもクリアできないことが多い」と未弧さんは悩む。デイサービスの範囲に止まらず、みんなが集い、助け合いができる場所として使って欲しいが、そうするためにはどうしたらいいのか。課題は多い。


 昨年の「ひっぽ」は、夏から秋にかけて雨つづき。10月には台風が襲い、収穫した稲をお日様と風で自然乾燥させるハセが倒れて大騒動。前日、雨の中、家族総出で稲刈りを終わらせたばかりなのに、やり直しになってしまったそうだ。

 「でも文句を言わず手伝ってくれた子どもたちには感謝です。いい子に育ってくれました」

 大変な農作業や味噌詰めの作業も根気強くやり遂げる4人の子どもたちに囲まれて、未弧さんは今日も忙しく働き続けている。

 太田さんは相変わらず、地元ひっぽのために奮闘中。長男は2時間かけて仙台の高校に通い、受験生の長女も頑張っている。次男は長距離ランナーで、末っ子の次女も持久走が得意だ。「足が速いのは犬と一緒に野山を駆け回っていたから。ひっぽは子育てしやすい環境」と未弧さん。

 「だからこそ、子どもたちの故郷となるこの地に恩返しがしたいんです」

 歳を取っても人とのつながりの中で安心して暮らせ、人と人、人と自然が共生する持続可能な地域社会づくりを目指す未弧さん、太田さん。そんな二人の活動をこれからも応援したい。



岩佐 未弧さん(宮城県丸森町在住)


鍼灸師の資格を持つ未弧さんが、利用者さんと話をしながら施術。ひっぽの人なら、家族構成やバックグラウンドが全部分かる。だから、ご本人が何を望んでいるのか分かりやすい。


『筆甫(ひっぽ)』とは…
“宮城県の遠野”と呼ばれ、日本の原風景が残る里山

宮城県の最南端、自然豊かな里山
宮城県の南端に位置する丸森町は、阿武隈急行線で福島駅から約50分、仙台駅から約1時間。その丸森町中心部から、さらに南へ約15km。車で20〜30分走った福島との県境に筆甫(ひっぽ)地区はある。面積の約7割が森林で、小高い山に囲まれ、豊かな緑と水に恵まれた里山は、まさに日本の原風景。四季折々の美しい自然と、そこで暮らす人々の笑顔に出会える。

宮城県の遠野と呼ばれる伝承の地
伊達政宗を祀る「八竜神社」。たたら製鉄の技術を伝承する隠れキリシタン一族が建立した「阿弥陀堂・マリア観音像」。北畠顕家が後醍醐天皇の王子を伴って植樹した薬師堂の「ウバヒガン桜」。ありがたいお経が聞こえる「経石」など、歴史的な見所が多い。また天狗や河童、平家の落人の伝説なども数多く残されている。“宮城県の遠野”。そう呼ばれるのも納得の、民族文化・史跡の宝庫だ。

田舎暮らしを積極的に応援!
高齢化が進む限界集落だが、人々の表情は明るく、温かい。もともと開拓民の多い地域で、新参者にやさしく、現在も子育て世代を中心に多くの移住者を受け入れている。太田さん・未弧さんご夫妻は、そのIターン移住の先駆者であり、田舎暮らしを希望する人たちのよき相談相手だ。「子どもたちは畑仕事をする父親のそばで日がな1日遊んでいた」そうだ。子育てにはもってこいの環境だろう。

もし、ひっぽで暮らしてみたいと思ったら、太田さんご夫婦にぜひ相談してほしい。


太田さんにとって未弧さんは、方向性が同じで価値観を共有できる人。「田舎で暮らしていくには、近いものがないとね」と笑顔で話してくれました。


「さをり織り」を楽しむ利用者さん。初めてでも上手に織れるので、お年寄りの生きがい、リハビリになっている。作った作品は販売もしている。


食事をして、お風呂に入った後、レクリエーションを楽しむ利用者さん。押し付けではなく、好きなように過ごせる時間が楽しく、心地いい。


太田さんが作る一貫造りの味噌を食べてみませんか

山の農場&みそ工房SOYA
〒981-2201 宮城県伊具郡丸森町
ひっぽ字細田103-13
TEL&FAX 0224-76-2015
http://soya-miso.com/index.html
E-mail:soya@k2.dion.ne.jp
●全国へ宅配便でお送りします。
●ご注文はホームページからお申し込みください。

NPO法人『そのつ森 デイシェア』

閉校となっていた旧筆甫中学校(1947年開校〜2007年閉校)を活用し、高齢者福祉の拠点にしたいとの思いから発足。生産活動、宿泊事業なども盛り込みながら、みんなが楽しめるふれあい交流の場所、高齢者を支え合う仕組みづくりを目指している。

デイシェア

要介護認定を受けた高齢者が食事や入浴、レクリエーションなどを日帰りで楽しめる。

いきいき元気クラブ

町から委託を受けた介護予防事業。月2回、元気な高齢者を対象に様々な交流活動を行っている。

宿泊事業

昨年春より宿泊の受け入れを開始。大学生が気軽に立ち寄り、太極拳の合宿にも利用されている。

さをり織り

そのつ森の看板事業。本紙に絵と文を寄稿しているくさかあやこさんが織り方を指導している。

『そのつ森』の名前は、絵本作家・荒井良二さんの作品「そのつもり」に由来。動物たちが空き地の利用法を巡って話し合いをする。様々なアイデアに「いいねえ、それ」と言ってそのつもりになるという楽しい話。

Q そのつ森はどんな場所?

地域の人が気軽に来られる場所です。ただ、自然環境の厳しい「ひっぽ」の人たちは自立心が強く、人に迷惑をかけたくないと頑張ってしまう。でも無理をしないで、利用して欲しいですね。「いきいき元気クラブ」は元気な人も参加できるので、茶飲み話をするつもりで来てください。

Q 苦労していることは?

なかなか利用者が増えないことが悩みです。また90歳以上の人が多く、いつまで通ってきてもらえるのかという不安もあります。

Q この仕事のやりがいは?

利用者の方に喜んでもらえることが一番です。ただ亡くなってしまう方がいるなど悲しみもあります。それらも含めて、全てがやりがいですね。

Q これからのこと

私は役場を退職後、郵便局に勤め、そしてヘルパーの資格を取得するために1年半研修し、この仕事につきました。これを最後の奉仕にしたいと思っているので、細々とでいいので長く続けたいですね。

『そのつ森』では旧筆甫中学校の改修工事に多大な資金が必要です。
国や自治体の助成金も期待できない現状では自己資金が頼りです。どんな形での応援(カンパ、労力、情報)でも大歓迎です。大きな大きな『そのつ森』になるように、苗木から一緒に育ててください。どうぞよろしくお願いいたします。


◎賛助会員は年間1口1,000円・何口でもOKです。(会員にはそのつ森通信をメール配信か郵送します)
郵便振替口座:02230-7-113486
加入者名:特定非営利活動法人そのつ森
〒981-2201
宮城県伊具郡丸森町筆甫字和田73
電話 0224-87-6362
FAX 050-3737-3341