「海藻おしば」が教えてくれたこと

会長 池田里美さん










 
その日、梅ケ丘は雨だった。この天気ではここまで来るだけでも大変だろうと世田谷総合福祉センターを訪ねると、すでに3階の研修室には悪天候にもかかわらず「車いすダンス世田谷『舞夢』」のメンバーが揃っていた。

「さすがに今日は集まりが悪いですね」

代表の池田里美さんが申し訳なさそうに言うが、それでも二十数名のメンバーが集合した研修室はなかなかの賑わいだ。メンバーは車椅子に乗ったウィルチェアドライバー(車椅子利用者)が10数名に、その半分ほどのスタンディングパートナー(健常者)が、レッスンの開始をいまかいまかと待っている。

「じゃあ最初にディスコをやりましょうか」

池田さんがCDラジカセの再生ボタンを押すと軽快な音楽が室内に流れた。その途端、メンバーの表情が変わった。一斉に花が咲いたかのように、誰もが楽しそうな笑顔になった。意識してつくった笑顔とは違う、心からの笑顔だ。音楽が奏でられると同時に、みんなの気持ちが弾けたのが伝わってきた。弾んでいるのは心だけではない。それぞれが音に合わせて踊り出した。楽しくて楽しくて仕方がない。1人1人の気持ちが調弾のように、投げられたリボンのテープのように部屋中を飛び交う。なるほど、これなら雨だろうがなんだろうが通って来るはずだ。ダンスの持つパワーに圧倒される思いで、しばしレッスンを見学させてもらった。

「車いすダンス」と聞いて、人はなにを想像するだろう。「車椅子」で「ダンス」をするのだろう。それくらいなら誰でも考える。だが、たいていはそこで無意識のうちに「どうせたいしたものではないのだろう」「身障者のリハビリやレクリエーションのひとつだろう」と思ってしまうのではないだろうか。

とんでもない間違いである。

確かにリハビリにもなるし、レクリエーションでもある。しかし、30年前に発祥したこのダンスは、すでに世界大会も回を重ね、社交ダンスの1ジャンルとして立派な地位を獲得している。日本でも13年前に『日本車いすダンススポーツ連盟』が設立され、現在では全国約30カ所に支部ができるまでに成長している。世界選手権出場はむろん、次回のトリノ冬季パラリンピックにも代表団を送り出す予定。いまやその裾野は世界中に広がろうとしている室内スポーツなのである。

池田さんはその世田谷支部である『舞夢』の代表。連盟発足時より理事長である四本信子先生に師事し、カップルを組む大瀧清治さんとともに世界選手権に2度出場したダンサーだ。代表を務める『舞夢』では先生役。楽しく、ときに厳しくメンバーを指導している。

「私は五体が動くからスタンディングパートナー。でも実は自分も膠原病患者。難病認定を受けている障害者なんです」

ほがらかに笑う池田さんを見て、この人が身障者だと思う人はおそらくこの世に1人もいないだろう。

「車椅子のダンサーたちだって同じ。車いすダンスには身障者も健常者もないんですよ。ウィルチェアドライバーもスタンディングパートナーもお互い一人のダンサー。まったく平等なんです」


◆パートナー・大瀧清治さんと
世界選手権出場





















◆イベントへの賛助出演

 
もとともと車いすダンスは、30年ほど前にドイツ・ミュンヘン工科大学のクロムホルツ教授によって提唱され生まれたもの。教授はある日、車椅子バスケの試合を見ていて「車椅子でもこれだけ動けるのなら高度な社交ダンスだってできるではないか」と思いつき、さっそく普及に努めたという。アイデアは大当たり。それまでもレクリエーション、ノーマライゼーションとしての車いすダンスはあったが、教授の提唱した本格的な社交ダンスは一線を画すものであった。たちまちヨーロッパ中にその輪は広がり、たんなるレクリエーションではなく競技として発展し、今日に至った。

池田さんが車いすダンスと出会ったのは、ちょうど病気に悩み落ち込んでいた時期だったという。

「そのころ、テレビでたまたま車いすダンスを観たんですね。いま思うと、確かヨーロッパの世界チャンピオンの方でした。そのダンスの素晴らしさ、身障者であることを忘れさせる生き生きとした姿にたちまち魅了されてしまったんです」

そうでなくても、池田さんは若い頃からダンスが好きで、OL時代は地域のダンススクールに通っていたことがあった。免疫異常という治癒せぬ難病に挫けそうなこのとき、池田さんを救ったのはやはり若いうちから親しんできたダンスだったのだ。

心から「もう一度踊りたい」と思った。自分が生きている証がほしい。踊ることでそれを実感したい。生命を輝かせたい…。

気が付くと、すっかりやる気になっていた。それも普通の社交ダンスではなく、車いすダンスを。自分も障害を背負ったいま、ただ自分だけが楽しむのではなく、同じ立場にある人たちにダンスの素晴らしさを伝えていきたい。ダンスは自由、誰が楽しんでもいいものなのだ。

「たぶんそれだけテレビで観た印象が強かったんでしょうね。もう本当に車椅子が生きているみたい。スピード感はあるし、ハンデなんてどこにも感じさせない。なによりも表情が素晴らしかった。ほしかったのは、ひょっとしたらあのいきいきとした笑顔だったのかもしれません」

当時はまだ『日本車いすダンススポーツ連盟』ができる前。指導者や仲間をさがしていたところに連盟が発足し、すぐに門を叩いた。そうして4年ほど連盟の活動に携わったのち、平成7年に世田谷支部となる『舞夢』を3人の仲間と立ち上げた。世田谷は3歳のころから住んでいる地元。まずはここからスタートしよう。呼びかけに応じ、次々とメンバーが増えていった。遠くは青梅、昭島からも参加者が現れた。病気になる前は亭主関白気味だった夫も「好きなことを存分にやるといい」と協力してくれた。いっぽうではウィルチェアドライバーの大瀧さんとカップルを組み、さまざまな競技会やイベントで自分たちのダンスを披露した。病気のことなど忘れてしまうほどの毎日だった。

しかし、『舞夢』がここまで来るには万事が調子良くいったわけではない。むしろ壁に当たることの方が多かったという。

「いちばん困ったのは練習場所さがし。驚いたことに世田谷区には車いすダンスが可能な施設がひとつもなかったんです」

ダンスをやる前に、まず福祉行政の壁にぶつかった。通常の福祉施設には、ダンスのような運動ができるスペースがなかった。なにかといえば、「施設が破損する」「汚れる」「保安上、消防上許可できない」「怪我をされてもうちでは責任が負えない」という答えが返ってきた。スポーツ施設とて同じ。スペースはあっても、今度は車椅子利用者用のトイレがなかったり、駐車場がなかったり、帯に短し襷に長しの状態だった。1カ所だけ可能な場所が上野毛の中学校にあったが、そこは駅から徒歩で20分。おまけに途中には急坂があった。これではとてもではないが車椅子のメンバーは通いきれない。

「バリアフリー」という言葉がいかに空虚なものか、池田さんは実感するほかなかった。


◆講習会の模様
(世田谷総合センターにて)










◆講習会の模様
 
それでもどうにか場所を提供してくれる施設が見つかった。建前に縛られた行政の壁は、コツをつかめば突破できないことはない。例えば、サークル名から「ダンス」という言葉をとりはずすだけで行政は福祉団体として認めてくれる。同じ要領で練習場所もどうにか確保した。現在、『舞夢』は世田谷区の福祉団体として社会福祉協議会から助成金を受けるまでになったが、それらはすべてあの手この手の努力の結晶なのである。

「確かに駅にはエレベーターが設置され、街には段差が減りました。けれど、心のバリアフリーはまだまだ。私たちはただダンスがやりたいだけなのに、ほかのものと戦わなきゃならなかった。いろいろ考えさせられる9年間でした」

介護や看護、理学療法などの知識も必要だと感じた。集まってくるメンバーはそれぞれ障害の種類が違う。全員で同じダンスをと思っても、人によっては物理的にできないこともある。その判断を下す上では専門的な知識、相手が納得する説明が必要だからだ。

しかし、いったん踊り出してしまえばイヤなことは全部どこかへ吹き飛んでしまう。それがダンスの素晴らしさだ。ダンスは、ほかのスポーツの場合だと単調でストイックなものとなってしまう練習自体が楽しめるのがいいところ。リズムに合わせて身体を揺らし、目と目で相手と通じあう。一人ではなく、常にカップルで踊る喜びを共有しあう。正真正銘の「心のバリアフリー」がここにはある。

こうした『舞夢』の活動が人々に知られるにつれ、パフォーマンスを求める自治体や団体、施設が増えてきた。いまではその数は40余り。呼ばれれば踊りに行く。ダンスの楽しさを広めに行く。それは同時に「ライブステージ(人前)で踊る」というダンサーの本能とも言うべき行為でもある。華やかにライトを浴びて踊るとき、ダンサーは「生きている自分」「輝いている自分」を実感する。

「福祉施設などで車いすダンスを体験してもらうと介護の方々がすごく驚かれるんですよ。こんな楽しそうな顔は見たことがない、あの表情はどこから出てくるんだって」

池田さんが求めているのはまさにそれだ。リハビリだと億劫な運動も、なぜかダンスだとできてしまう。「人を元気にする力」。ダンスにはそれがあるのだ。

ちなみに車いすダンスの種目は社交ダンス(ボールルームダンス)とまったく同じだ。モダン5種目にラテン5種目。その他、フォーメーションダンス(コンビスタイル・デュオスタイル)、エアロビクス、ロックンロール、新体操、フリースタイル(創作ダンス)などもある。感覚的には「ちょっと背の低い人と踊る感じ」。車椅子の機能上、真横に動くことはできないが、それ以外は通常の社交ダンスとなんら変わりがない。それどころか上級者となると、車椅子の特性を生かしたスピードで見たこともないような動きをしてのける。これは車椅子マラソンが通常のマラソンより速いのと同じだ。

「障害もさまざまなら年齢もさまざま。ここ数年は若い世代の有望なカップルが20組くらい育って来ています。今年は11月20日、21日と国立オリンピック記念青少年総合センターで第4回車いすダンス世界選手権が開かれますし、2年後のバラリンピックも楽しみですね」

いまや車いすダンスの先達である池田さんは指導者としても胸を膨らませている。だが、その目指すところはあくまでもみんなの生命を輝かせることだ。

〈もっともっと輝こうよ。生命は平等、音楽も踊りも)

『舞夢』のメンバーは、グループのモットーであるこの言葉を胸に、今日も踊りつづけている。

◆「皆で遊ぼう車いすダンスの集い」でのスナップ


◆世田谷「舞夢」創立7周年記念パーティー“THANKS FOR あなたへ”会員出演メンバー

車いすダンス
世田谷『舞夢』プロフィール


活動目的
    障害者と健常者がお互いの境をはずし、踊る喜びを分かち合って共に生きる車いすダンスを通して誰にでも優し く、心豊かな社会造りを目指すバリアフリー福祉活動を目的とする。
設立
    平成七年十二月
    (世田谷区認定の障害者福祉団体)

活動内容
  1. 毎月2〜3回の講習会
  2. 要請でのデモンストレーション披露と各地での講習会開催
  3. 年一回の演技発表会
  4. 車いすダンス全日本選手権、世界選手権に向け競技選手育成

◆連絡先 /舞夢 代表者:池田里美
世田谷区祖師谷4−25−21
TEL. 03−3482−4831
NPO法人 日本車いすダンススポーツ連盟 http://www.jwdsf.com