忙中閑あり、閑中忙あり

わが佗(わ)び住居は、東名高速道路港北パーキングエリアの傍らである。そしていつの頃からか年末年始、お盆休み、ゴールデンウイークなどに文字通り数珠つなぎの交通渋滞を季節の風物詩として陸橋上から高みの見物をする習わしが身についている。

この時期、マスコミはこぞって民族大移動と声高らかに道路交通情報、満腹の新幹線状況等を唱和する。

そして識者は休暇の過ごし方、働き過ぎ、ゆとりのなさ、集団主義の民族性をしたり顔に評価するにぎやかさである。

傍観者である小生は、かつてTBSラジオの『電話子供相談室』で「事故でもないのに、渋滞の先頭はどうなってるんですか?」という珍問に、回答者の先生が頭を抱えていたことを思い出し笑いをしながら、なぜ懇切丁寧な交通情報にもかかわらず苦労の渦中に身を置くのだろうかと、オーナードライバーの友人に問いかけてみた。

「それは時間に余裕があるというより、時間をもて余している閑人の考えである。働き虫といわれる多忙のわれわれに、連休は自分のリフレッシュと家族との絆を見つめ直す好機である。季節差で休みがとれても、就学児をもつ以上、遠出のプランも子ども中心になり、集中豪雨的にならざるをえない。傍目にはゴクロウに見えるだろうが、ノロノロ運転のおかげですれ違いの家族に豊かな会話が生まれ、前後左右のドライバーとの共苦共感の連帯感が生まれるのもおかしく、楽しいものである。『忙中閑あり』、まさに多忙のおかげで閑雅な心境を久しぶりに味わえるありがたさ…。

高みの見物は閑中の人。サンデー毎日では休みの効用、ありがたさに不感症になりますよ。自ら積極的に忙を求めていく気力、根気をなくすと『呆けないことは活年の最低の義務である』との持論に反しますね」との答えであった。

「閑中に忙あり」、閑と忙とを言い訳の材料にせず、バランスをとって生きたいものである。