育児から育自       

  いのちは人との関わりの中で育てていくもの

近年核家族、単身赴任と、家族もそれぞれの暮らし方で、じいちゃん、ばあちゃん、おじさん、おばさん、兄弟姉妹といのちにつながる家族を感じられるような機会が少なくなってしまいました。そんな社会の移ろいの中でも、お正月は身内が集まる数少ない習慣の一つだと思います。久しぶりに出会ういとこ、はとこの騒がしさは、年月を越えて懐かしいものがあり、大切な成長過程も思い出となると思います。

先日、家から大金を持ち出して上級生にばらまいていた小学生の男の子が、そのことに気が付いた母親のすばやい判断で夜遅くまで、一軒一軒歩いて、詫びながらお金を返してもらったという話を聞きました。

昨年暮れには愛知県の中二の子が死をもって抗議した友人のいじめがありました。とことんいじめ抜く子どもたちのいじめに走る心に、ブレーキをかけるような肉親との楽しい思い出はなかったでしょうか。いつでも身の回りを温かく包んでくれる親の思いは感じられなかったのでしょうか。

いじめてもいじめてもなおエスカレートしていく子どもたちの切ない気持ちが、我が子をたたいて止まらない幼児虐待に走る母親たちの影にだぶって、切なく寂しく胸を締め付けられる思いがいたしました。

気が付いた時、どう対処するかが大切だと思うのです。大人たちは逃げてはいけないと思うのです。責めるばかりでなく一緒になって後始末をする努力、姿が、大人不信の子どもの心に、自分のしたことを考えさせるゆとりを持たせるのだと思うのですが。

決して投げ出さない、どんなことがあってもいつまでも信じて待っていてくれる家族、特に両親のあることを身にしみて感じることができたら、きっと子どもたちも不本意な行動はしないと私は信じていますが、甘いでしょうか。“いのちを粗末にしてはいけない”“自分のいのちと同じに他人のいのちも大切にして欲しい”と願わずにはいられません。